もう8月である。夏だ!!
夏・・・、まさにまぶしい季節である。
夏を題材にした作品はたくさんあると思うが、今回は映画「菊次郎の夏」を語ろう。
「菊次郎の夏」はビートたけし=北野武氏が主演・監督・脚本・編集を手がけた(監督第8作目)、第52回カンヌ国際映画祭コンペティション部門正式出品作品である。
"たくさん遊んで、少し泣いて。"
「菊次郎の夏」予告ナレーション
このキャッチフレーズこそ、「菊次郎の夏」という作品を表現している。
「菊次郎の夏」のテーマ曲はかなり有名で、夏になるとテレビなどのあらゆる媒体でたびたび耳にするだろう。等ブログで扱った映画「ロッキー」と同じく、「菊次郎の夏」を観ていなくても、テーマ曲は聞いたことがある人がいるくらい、テーマ曲が映画から独り歩きしてしまった、数少ない名曲中の名曲だ。
今回は夏ということで「菊次郎の夏」を扱うことにしたが、もしこの記事を読んだビートたけし氏はこう言われるに違いない。
「お前なんかに語られるなんて大きなお世話だよ、バカ野郎!!」
それを覚悟して「菊次郎の夏」を語っていきたい。
あらすじ
ひょんなことから菊次郎は女房の知り合いの子供・正男を遠く離れた母親の元へ連れていくことになった。やる気のない菊次郎は旅費を遊びに使ったりして、正男を悲しませる。だが正男の母親に会いたいという気持ちに打たれ、菊次郎は試行錯誤ながらも旅を進めていく。旅先で多くの人の優しさに触れて、二人の距離も次第に縮まっていくが・・・。
登場人物
菊次郎
中年のチンピラ。口が悪く非常に暴力的。基本、高圧的な態度で人と接する。だが、正男と旅をするなかで"優しさ"が芽生えていく。
正男
幼くして父親を亡くし、母親は遠くに働きに出ていて、母方の祖母ともに暮らしている。
夏休みが始まり、友達はみんな家族旅行など出かけていて、ひとり暇を持て余していた。そんな時、遠くに住む母親から宅配で荷物が送られてくる。正男は受け取りのためにハンコを探していると、引き出しから偶然、母親の写真を見つける。荷物には現在の母親の住所が書き記してあった。
正男は衝動的に母親に会いにいくことを決意、荷物をまとめて家を飛び出す。
菊次郎の正男の第一印象は、「陰気臭いガキ」。
菊次郎の女房
正男の顔見知りで、繁華街で不良に絡まれていた正男を救う。正男が母親に会おうとしていることを知り、菊次郎に旅費5万円を託して二人を旅に送り出す。
菊次郎と正男が住んでいるのは浅草で、正男の母親の現在の住所は愛知県の豊橋。浅草からはかなり遠い。正男は衝動的に家を飛び出したものの、全くのノンプランであった。
冒頭、菊次郎と女房が正男の家庭事情について話すシーンがある。
菊次郎「母親は?」
菊次郎の女房「どっかに働きに出てんじゃない・・・?」
菊次郎「あんなん、男捕まえてどっか行ったんだい、ありゃあ。」
菊次郎の女房「あんたんちの母親じゃないんだから。」
非常にさらっとはしているが、このセリフから菊次郎は母親に捨てられたことが分かる。さらに菊次郎の人間性も垣間見ることもできる。
そう、「菊次郎の夏」母親に捨てられた男と、母親に会いたい子供の物語なのだ。
「菊次郎の夏」は夏を題材にした映画だが、テーマ曲が独り歩きするくらいのパワーを持ち、夏を題材にした作品というよりかは、「菊次郎の夏」こそ、夏を象徴する作品と表現した方がしっくりくる。同時期にはプレイステーションソフト「ぼくのなつやすみ」が存在し、媒体は違えど、共に夏を象徴する作品である。(「ぼくのなつやすみ」のナレーションはなんと、たけし軍団のダンカン氏)。
中年のチンピラの菊次郎と、小学生正男という凸凹コンビのひと夏のロードムービーは前述のキャッチフレーズ「たくさん笑って、少し泣いて」の通りに進行していく。
北野武氏の作品には珍しく、多少の暴力シーンは存在するが基本的には優しい世界観である。音楽は久石譲氏が担当し、テーマ曲、伴劇はピアノで構成され、その点からも「菊次郎の夏」は優しい印象を受ける思う。
基本的には優しい世界観で構築されているものの、全ての登場人物が優しい訳ではなく、様々意味での"怖い人"が登場する(変態など・・・)。また、現在ではアウトな表現があり、見ているこちらがヒヤヒヤしてしまうシーンも少なからずある。
基本的には正男の目線で描かれているが、タイトルが「菊次郎の夏」としたところが非常に重要である。また、菊次郎という名前はたけし氏の父親の名前だ。
そして、やるせない現実もしっかりと描かれており、笑いとシリアスのメリハリがしっかり効いているのだ。
正男の風貌はかなり地味めで、セリフも基本的に一言二言である。だが笑ったりなどのリアクションがほんとに自然で、等身大の小学生としてのリアリティがあり、より感情移入しやすい。複雑な家庭事情を持つ正男の歩く姿は哀愁が漂っている。
紆余曲折を経てヒッチハイクでたどり着いたバス停で、雨降りの夜を明かす菊次郎と正男。菊次郎は正男が母との面識がないことを知る。菊次郎の膝枕で眠る正男。菊次郎はぼそりと呟く。
菊次郎「この子も、オレと同じか・・・。」
そのぼそり呟いた一言が、今までの菊次郎とは違っていた。
当初、やる気の無い菊次郎だったが、正男に正面から向き合ったことによって、ひとりの人間としての優しさが芽生えていく。
また、バス停のシーンでは相方のビートきよし氏が農夫役出演。物語の設定では初対面で赤の他人のはずなのに、菊次郎=たけし氏との息のあった、まるで漫才のような掛け合いが面白い。
旅の道中では手段を選ばず、強引なことも平気でやってのけていた菊次郎。それでも菊次郎の中に眠っていた優しさが芽を出した時、そこに感動を覚える。内容こそ違うが、菊次郎はダスティン・ホフマン氏主演の映画「靴をなくした天使」の主人公のコソ泥・バーニーと少しダブる部分がある。普段はどうしょうもないやつだけど、人間としての優しさをちゃんと持っている。
ふと思い出して、優しい気持ちになれる。そんな瞬間は人生において不可欠ではないだろうか?
菊次郎の夏(1999年)
監督・脚本・編集:北野武
制作:森昌行・吉田多喜男
菊次郎・・・ビートたけし
正男・・・関口雄介
菊次郎の女房・・・岸本加世子
正男のおばあちゃん・・・吉行和子
変態男(落武者)・・・麿赤兒
バイクの男・・・グレート義太夫
バイクの男の友人・・・井手らっきょ