マサキの部屋

特撮・ドラマ・映画その他もろもろについて語ります

一周年記念 第1回記事 特捜最前線「兜町・コンピュータよ、演歌を歌え!」を改めて語る

今回は一周年記念としてもう一度、特捜最前線 第369話「兜町・コンピューターよ、演歌を歌え!」について語る。

なぜ、一度語った物語をもう一度語るのかという疑問がこの記事を読んでいるあなたに浮かぶと思う。その疑問ついて答えたい。

当ブログを開設して一年が経った。一年続いたのはもちろん、読んでくださる方がいるからである。

ブログ更新と並行して私は沢山の本を読んだ。そしてとある本の内容と特捜の「兜町」がリンクする瞬間があった。だからこそ、一年経った今、当ブログを継続した経験と読書の知識も兼ねてもう一度、特捜の「兜町」を語ってみたいのだ。

そもそも、タイトルが凄い。

兜町・コンピューターよ、演歌を歌え!」

かなりのインパクトのあるサブタイトルだが、本編を見なければ何のことかサッパリ分からない。でも本編視聴後には納得のサブタイトルだから、あら不思議。

80年代に放送された特捜の「兜町」。平成をまたいだ昭和の作品であるが、なによりもテーマが先見性以上に予言めいた内容である。「兜町」はある意味SF要素含んだテーマをあくまであるが、それを刑事ドラマの範囲内できっちり描ききっている。それもまた凄い。

特捜は人情系というイメージが強いが、アクションや推理系など、"やるときはやる"というスタンスで、刑事ドラマの中ではオールラウンダーの立ち位置である。だからこそ、今回のようなテーマ・メッセージ色の強い物語が成立するのである。

では、改めて特捜の「兜町」を語っていきたい。

あらすじ

f:id:masakips:20190610151542j:image

何者かが証券会社のパソコンを破壊し、警備員を殺害して逃走。桜井は犯人の手口などから容疑者として立川という前科者をパソコンからはじき出す。以前立川を逮捕した船村は立川が容疑者であることを否定。そのうえ捜査にパソコンを導入した桜井を非難。桜井と船村は事件を捜査するなかでコンピューター社会の残酷な現実を目の当たりにする・・・。

 

今回の主役は桜井と船村の二人で、コンビを組んで活動する。だが今回は息のあったコンビという訳ではなく、桜井が犯罪捜査のためにパソコンを導入し、それに反対する船村の対立が描かれる。船村が桜井とコンビを組む理由は、桜井の考え=パソコンのお告げ通りに捜査することの間違いを証明するためであった。

今回の事件の"パソコンがはじき出した"容疑者・立川は船村が逮捕した窃盗犯であった。現在は更生して流し(客のリクエストに応じてギターなどで曲を弾く)となり、結婚している。

船村には立川が殺しが出来るような男ではないというデータがあるのだ。その根拠として、窃盗犯は強盗犯のような強行手段は取らず、発見された時点で逃走するからである。だから警備員を殺害するはずがない。

捜査の結果、目撃者の証言により犯人と思しき人物は立川ではなく、全く別の人物像が浮かび上がる。だが船村のデータとは裏腹に、犯人と思われる人物と立川が徐々に繋がっていく・・・。

なぜ、船村が犯罪捜査にパソコンの導入を反対しているのか理解できない人がいてもなんら不思議ではない。現在、刑事ドラマでは当たり前のようにパソコンを使っているし、そもそもパソコンは現代人の我々にとって見慣れた存在である。

犯罪捜査において出来るだけ早く犯人を捕まえるために、文明の利器パソコンの導入は至極当然である。

我々にとって見慣れたパソコンを否定する船村はたしかに時代遅れの人間となってしまうが、本作を最後まで観るとそれだけの感想だけでは終わらない。そして船村は捜査の結果、今回の事件と立川が繋がったことについて、「コンピューターも捨てたもんじゃない」と自らの敗北を認める。

 

効率を求める時代

社会全体でパソコンが普及し、桜井は犯罪捜査の効率化のためにパソコンを導入する。そして「兜町」の証券会社のパソコンが何者かに破壊されている。

実は事件の容疑者・立川はカラオケの普及によって流しを廃業に追い込まれていたのだ。カラオケという存在に慣れすぎてあまりピンとこないが、カラオケも立派なコンピューターである。

兜町」の印象的な人物として、被害を受けた証券会社の社員がいる。その社員は元々、場立ち(証券取引担当員)だったが、コンピューター取引の導入によって配置転換を強いられ、場立ちではなくなってしまった。その社員は場立ちが証券取引をすることは生き甲斐であり、自らを追いやった存在のコンピューターを恨みたいけど恨んでも仕方がないという、元場立ち達のやり場のない思いを代弁する。

SFでいうコンピューターの恐怖は、コンピューターが自らの意思を持ち、人間に反逆するという形で描かれるが、「兜町」ではコンピューターの普及によって人間が仕事を失いつつあるという、誠にリアルな視点で描かれる。人間の生活を便利にするコンピューターが、人間以上の働きをすることによって人間の仕事を奪っていく・・・。

私は「兜町」は数十年という熟成期間を経て今最も味のする作品であると思うと書いたが、人間の仕事がコンピューター=AIによって失いつつあるという問題提議は、今現在、最も議論を呼んでいることではないか!!

それはまさにユヴァル・ノア・ハラリ氏の著書「ホモ・デウス」であろう。

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 上: テクノロジーとサピエンスの未来

 
ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

ホモ・デウス 下: テクノロジーとサピエンスの未来

 

そう、「ホモ・デウス」と「兜町」がリンクした瞬間であった。

「ホモ・デウス」は同氏のベストセラー「サピエンス全史」の続編的著者で、「サピエンス全史」は我々ホモ・サピエンスの誕生から現在までの歴史を非常わかりやすく描かれているに対し、「ホモ・デウス」は我々の未来予想がリアルに描かれている。

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

 

 

兜町」の脚本を担当した阿井文瓶氏である。阿井氏は特捜では社会問題などを扱うことが多かったが、「兜町」の先見性を超えた予言は誠に恐ろしさを覚える。

 

人間はあらゆることを効率化したがる。それは「兜町」の桜井も同じで、犯罪捜査のシステム化=効率化のために特命課の扱った事件をパソコンでデータ化した。たしかに時間を短縮することは必要であるし、率先して効率化を行わなければならない分野はある。

だが、最近やたら"効率化"にとらわれてはいないだろうか?それは本当に効率化する必要はあるものだろうか?その間になにかを失ってはいないだろうか?ものごとを効率化しすぎた結果、人間らしさを失うのではなかろうか?

兜町」で課長の神代は桜井に言った。

神代「技術が時代を推し進めている。そして我々はその技術に従って生きていくしかない。しかし、それだけでいいかどうかだな。」

特捜最前線 第369話 「兜町・コンピューターよ、演歌を歌え!」より

これは金言である。神代の言葉が現代に深く刺さると思う。

フォローしておきたいが、桜井も優しさを持った人間である。犯人の逮捕には身体以上の心の痛みを伴っている。

 

人間には喜怒哀楽がある。生きているから、壁にぶち当たる。だが当の本人にはなかなか超えられない壁でも、他人には簡単に超えられるものかもしれない。だがその壁を越えようとしたり、或いは超えられた瞬間にさまざまな感情を抱く。我々の人間らしさとは、まさにそこではないだろうか。

確かに効率よく生きられればそれに越したことはないだろう。だが、喜びという感情は果たしてどうなるのだろうか?

だがらこそ、我々が人間らしくいられるうちはその人間らしさを謳歌しようじゃないか。

データやノウハウなどがネットにはたくさん転がっている。でもそれが全てではない。人生にはそれを優に越える素晴らしい感動がある。それを引き寄せるのも、その人の持つ人間らしさだろう。

とにかく、今を一生懸命生きることの方が大事なのではないだろうか?データやノウハウにすがる気持ちはよく分かる。誰だって失敗なんてしたくはない。でも、失敗しなきゃ分からないことがあるし、人生なんて上手くことの方が珍しい。

ハラリ氏は今後、AIありきの社会となることを予想している。我々が判断すべきこともあらゆるデータを元に、AIが人間に代わって判断するかもしれないという。世の中が便利なるのは良いことだが、それに頼りすぎのは良いことではない。だからこそ、神代の言葉を今一度深く刻んでおきたい。

 

【関連記事】