マサキの部屋

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特捜最前線 第505話「地上げ屋殺し」について

本題に入る前にMr.Childrenの「Tomorrow never knows」の歌詞の一部を引用する。

"とどまる事を知らない時の中で

いくつもの移りゆく街並みを眺めていた"

Tomorrow never knows」 作詞・作曲 桜井和寿 Mr.Children より

なんだかこの部分がしっくりきた。

今回は特捜最前線 第505話「地上げ屋殺し」について語っていこう。

監督は野田幸男氏、脚本は阿井文瓶氏で、阿井文瓶氏の担当回はこのブログで取り上げている。

阿井文瓶氏の脚本回は視聴後に何か考えさせられることが多く、勝手に阿井文瓶氏のことを特捜最前線の社会派脚本家と呼んでいる。

第505話「地上げ屋殺し」は1987年3月5日放送であり、特捜最前線末期中の末期で最終三部作直前回だ。後半になり冗長気味なサブタイトルが続いていたが、今回は簡潔で短く、末尾に感嘆符"!"が付いていない。そのため特別感が漂うが最後の通常回である。

番組の全盛期は傑作・名作を連発していたが、後半になるとマイルド化していく。

放送時間の変更があり、22時から21時に時間を下げ、曜日も水曜日から木曜日へと変わる。

その影響で特捜最前線の持ち味のエグい・突き放すようなラストは鳴りを潜める。

また、キャスト陣も劇的に変わり、船村刑事役の大滝秀治氏、吉野刑事役の誠直也氏、高杉婦警役の関谷ますみ氏が立て続けに降板、特捜最前線の黄金期メンバーがいっきに姿を消す。

その穴を埋めるために、時田刑事役の渡辺篤史氏、犬養刑事役の三ツ木清隆氏、江崎婦警役の愛田夏樹氏、杉刑事役の阿部祐二氏が加入する。

キャスト陣の年齢層は若くなり、特に杉刑事は当時の若者という立ち位置であった。

さらに脚本陣も変わる。

メインライターかつ"傑作製造機"の長坂秀佳氏が降板。その後、長坂秀佳シリーズとして数本を定期的に執筆する形で復帰する。

塙五郎氏も大滝秀治氏と共に降板し、ヘビー路線の脚本家がいなくなる。それは特捜最前線のマイルド化の決定打であった。

だが、今回の「地上げ屋殺し」は違う。マイルドな印象は受けないし、特捜最前線の歴史を語る上では抑えておきたい回だ。

東映ビデオさん、「地上げ屋殺し」はソフト化するべきだ。

今回の主役は神代課長。

警視庁特命捜査課長というポジション故に非情な采配を振るい、初期は四角ダルマと高杉刑事に揶揄されていた神代だが、今回はひとりの人間の部分が垣間見れる。"いつもと違う神代"の様子に時田と犬養が気づくシーンがあり、よりそれを強調している。

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今回の事件は新宿のビル街にひっそりと立つボロアパート"あけぼの荘"で、地上げ屋の男が絞殺されていた。

その地上げ屋は乱暴な男で、家賃を滞納した上に他の住人と頻繁にトラブルに起こし、それが原因で大半の住人が出て行ってしまった。勿論、残った住人達には恨まれている。

神代はあけぼの荘で事件が起こったと聞いて、特命捜査課で担当する事を決めたらしい。

そして、物語はあけぼの荘を軸に進行していく。

"愛と死と憎悪が渦巻くメカニカルタウン"

特捜最前線 OP ナレーションより

この物語の重要な立ち位置のあけぼの荘は新宿ビル街にひっそりと立ってるいるのだが、新宿ビル街はいわば特捜最前線の象徴とも言うべき存在で、あけぼの荘を軸に物語が進行する「地上げ屋殺し」は特捜最前線の歴史を締めくくるに相応しい。

あけぼの荘の住人も重要で、特に南老人が若き日の神代を知る人物であり、この回の奥行きを感じさせる。

風邪をひいていた若き日の神代に南老人は鶏の卵を落としたお粥を差し入れしたという。他の住人も南老人の卵で貧乏生活を凌いでいたのだ。

序盤、容疑者として特命課で取り調べを受ける南老人があけぼの荘について人生の場所と答えているのだが、実は息子の家に何度も同居を申し入れているが断られている事実があり、あけぼの荘に住み続ける理由は明るいものではないという、負の側面もきっちり描かれている。

神代「みんな痩せこけて貧乏だったが、心は豊かだった。」

あけぼの荘の前で特命課の刑事達に若き日のことを話す神代の表情には笑みがこぼれ、また、南老人に昔、自分があけぼの荘に住んでいた事実を伝えた時、神代は涙を流していた。

神代にとってあけぼの荘は古き良き時代の象徴なのだ。

地上げ屋殺し」から伝わるメッセージは、阿井文瓶氏脚本の第369話「兜町・コンピュータよ、演歌を歌え!」と通じる部分がある。それは"発展した文明社会が忘れていく、形のない何か"だろう。

便利を知ってしまった人間は、どんどん形のない何かを失っていく。それを阿井文瓶氏は特捜最前線を通して訴えてきた。

戦争、戦後、高度経済成長期を経験してきた昭和はまさに激動の時代であり、「地上げ屋殺し」はその昭和の古き良き時代の部分を回想させる。

日本の発展と共に変わりゆく街の中、唯一変わらずに残っていたあけぼの荘。

だが、今では冷たい鉄筋コンクリートのマンション・アパートが主流になり、それに比例してか、少しずつ閉鎖的な時代に向かっている。あけぼの荘のようなボロアパートは老朽化して取り壊されていく・・・。

人の温かい心は時代に押し流れて、冷やされていくのだろうか?

この記事を書いている今、平成最後の夏である。平成という時代が幕を閉じようとしている。そして、特捜最前線の「地上げ屋殺し」の放送後には昭和が幕を閉じ、平成を迎えた。なんだが、少しシンクロした気分だ。

どういった経路で「地上げ屋殺し」のプロットが練られたのかは分からないが、あけぼの荘というボロアパートを軸に、ここまでの素晴らしい物語を書いてしまう阿井文瓶氏は本当に凄い。多分、こういったプロットは"若き日の青春"を懐かしんだりするものだが、「地上げ屋殺し」は違う。逆に"若き日の苦労"にフォーカスが当てられ、ラストを締めくくっている。

そして、特捜最前線のほとんどは綺麗事で終わらない。「地上げ屋殺し」も例に漏れず、皮肉だっぷりだ。主役刑事の言葉・思い等が常に登場人物に伝わる訳ではない。分かり合えなかったものがあるからこそ、綺麗事では"終われない"のだ。物語の"カタルシス"など存在せず、非常に後味が悪い結末を迎えことが多い。だがそれが癖になる。

特捜最前線はある種の哲学である。脚本家の主義・主張等が顕著に現れ、時に鼻についたりもする。だが、ストーリーとしてのリアリティはそこにあったりして、特捜最前線が他の刑事ドラマより一線を画している部分でもある。

いや、ここまで徹底したリアリティ主義は、同世代の刑事ドラマでは特捜最前線だけかもしれない。

特捜最前線は10年放送という大往生で、再放送が頻繁にされおり、現在は幅広い年齢層のファンから支持されている。

全10巻のDVD Boxと単品のDVDが発売されているが、DVD化されていない埋もれた名作がたくさんある。だがらこそ、特捜最前線の魅力を語り継ぐことで埋もれた名作のソフト化のきっかけになるかもしれない。

特捜最前線のファンの皆さんで、その魅力を発信していこう!!